建築

【書評・感想】『点・線・面』/隈研吾

こんにちは。Nora(ノラ)です。

今回は、建築家の隈研吾さんが執筆された『点・線・面』という書籍の書評をお届けしたいと思います。

隈研吾の建築論がまとめられた最新の書籍です。

こちらの書籍、2020年に発売された『ひとの住処』ととも同時発売された書籍です。

『点・線・面』基本情報

『点・線・面』
著者:隈研吾
発売日:2020年2月

『点・線・面』は、東京オリンピックが開催される(はずだった)2020年にあわせて発表されました。『ひとの住処』は文庫本という形でしたが、こちらはハードカバーでの発売です。前者が時代を振り返りながら建築の社会的意義を論じているのに対し、『点・線・面』は、隈研吾の空間論、形体の理論が書き収められている1冊です。代表作である「まける建築」などの他の書籍とは少しばかり系統の異なる内容の構成となっています。しかし本質は同じことを書いています。

2013年に発売された「小さな建築」には、同様の視点で語られている場面もあったので、先にそちらの書籍を目を通しておくと、本書がより理解できるかもしれません。

『点・線・面』の書籍のリリースにあたり、隈研吾さんの事務所のページにはこのようなメッセージがありました。

2つの本を書下ろしで書いた。国立競技場の設計に携わっていた、忙しい時期に、よく2冊も本を書く時間を見付けられたものだと自分でも感心するが、この時期だからこそ、本を書くことができたのだということもできる。すなわち「新国立」といういままでの人生で味わったことがないようなプレッシャーが、僕の背中を押して、この2冊を書かせたのである。「新国立」という事件が人生で起きなければ、この2冊の本は生まれなかったであろう。
 1冊は岩波書店から出る『点・線・面』である。自分の建築的方法が前の世代の建築家達と、そしてさらにその前のモダニズムの建築家達とどう異なるかを、徹底的に総括しようと考え、僕の方法を『点・線・面』の方法、すなわち粒子の方法と呼んでみたわけである。『点・線・面』はの中心的人物でもあったロシアの画家、ワシリー・カンディンスキーの著作と同名で、実は僕はこの本を高校時代に読んで衝撃を受け、そのままずっと座右に置いていた。僕流の『点・線・面』を書いていてもっとも興奮したのは、量子力学以降の現代物理学と僕の方法の平行関係について思考した時である。
 コルビュジェ等のモダニスト達はアインシュタインと自分達をパラレルだと考えていたが、モダニズムの基本はニュートンの静力学であるように僕には見える。空間の中を方程式に従って物が運動するニュートンを古典力学が第一段階。時間と空間を接続したが、依然として法則(方程式)というものの存在は否定しなかった第二段階。対象とする世界の超拡大、超縮小に伴い、そのすべてを貫通して支配する法則の存在自体と否定し、すなわち物理学という学問自体を否定したような量子力学以降の物理学が第三段階。
このような三段階説で、この世界の現状がかなりリアルに見えてきたし、僕という建築家の方法と、この量子力学以降の方法の平行関係が見えてきて、興奮した。最新の量子力学については、恩師原広司が絶賛する大栗博司の一連の本から多くを教わった。
<後略>


隈研吾建築都市設計事務所HP News letter#28より

隈研吾建築都市設計事務所のページはこちら

こういったバックグラウンドを知っておくと『点・線・面』を読むにあたって理解の助けになると思います。

『点・線・面』著者紹介 隈研吾

隈研吾

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。2009年~2020年3月、東京大学教授。2020年4月より東京大学特別教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他)、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

隈研吾建築都市設計事務所HP

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『点・線・面』構成

本書は以下の構成から成り立っています。

  1. 方法序説

方法序説では、建築空間に対する本質的な考え、思考の経緯を提示し、それによって生じる点・線・面の捉え方を隈研吾自身の作品を用いて説明しています。

『点・線・面』方法序説

構想ビルが立ち並ぶ都市
コンクリートによるボリュームによって覆われた現代の都市

『点・線・面』の冒頭で、

「自分のやっていることを一言でまとめると、ヴォリュームの解体ということになるのではないか、と最近考えるようになった。」

と記されています。

20世紀はいわゆる、「ヴォリュームの時代」でした。固く、強く、大きく、閉じられた建築を社会が追い求め、結果として本来の人間の営みの単位とは逸脱した世界を作り上げてしまいました。

コンクリートはその代表格であり、水とセメントと砂利を用いれば設計者が頭に描いた通りの「塊」を作ることができます。これを隈研吾は「ヴォリューム」と称し皮肉しています。

そしてヴォリュームの対極、パラパラとした、さわやかなものの在り方を「点・線・面」と本書では名付けています。隈さんが目指す建築の在り方はこちらです。

その大元となる思考はカンディンスキーの『点・線・面ー抽象芸術の基礎』にあります。点と線と面の3要素を用いたコンポジションや分析、心理的な効果がまとめられているものでした。絵画に興味のあった当時の隈さんが手に取った本でした。

この本が世に出た20世紀初頭は、このような形態と心理の科学的分析が一種のブームのように起こっており、同様の考察が多方面からなされていた。そしてその混沌をまとめ上げたのが、ジェームス・ギブソンによる「アフォーダンス理論」です。出版された本はそれまでの現象学に引導を渡すこととなります。

ギブソンは「世界は連続するヴォリュームではなく、無数の点や線の組み合わせが作る、肌理の集合体である」と再定義しました。

粉塵が舞う様子
点・線・面といった『粒子』が身の回りを構成している

人間は空間に存在する点や線を用いて空間を測り、認識する。空間には、点や線などの粒子が存在しないと人は不安になる。人間だけでなく、すべての生物が、粒子のない世界に棲むことはできないのである。

この一文が、モダニズムのホワイトキューブの皮肉に繋がっていることは理解できると思います。

ギブソンの「肌理」の考えが、今の隈研吾を構成しているといってもよいのではないでしょうか。

こうした粒子をちりばめることが、「点・線・面による建築」すなわち「ヴォリュームの解体」につながるのではないかと思います。

また、カンディンスキーは、建築は少しも固定されておらず、流動的なものであり、音楽のようなものだと指摘しています。点・線・面という概念は時間的な要素を版画や建築に挿入する考えを持つことが可能になるというのです。

このような時間を含めた重層的な概念が、以降登場する「パラメトリック・デザイン」と呼ばれるコンピューテーショナルデザイン、そして粒子的な建築へとつながると隈さんは述べています。

そして、この考えをもとにル・コルビュジェやミース・ファンデル・ローエ、レム・コールハースといった時代を作った建築家たちを隈研吾の視点から語り、当時の時代背景と建築思考を紐解いています。

感想

ノートとスマートフォンと眼鏡

まずこの本は、ある程度建築に精通しており、隈研吾のバックグラウンドを理解している方が読むと非常に面白く読めると思います。

隈健吾の書籍は「読みやすい」ことでも知られていますが、『点・線・面』は特に序盤が多角的な視点を持っていないと読み進めるのは難しいかもしれないと感じました。逆に絵画の構成論などに通ずる方は、ページをめくることに苦労しないかもしれません。とはいえ、他の建築思想が綴られているものよりは大分難易度は低いと思います。

隈研吾が常々おっしゃっている「ポスト工業化社会」への空間的な解法が示されている本書ですが、ただモダニズムや高度経済成長を批判する姿勢でいることが求められているわけではないと感じました。

建築を作ることはどういうことか。それは本来人間にとって、環境にとってどういうものを生み出しているという事なのか。

そんなことを考えさせられる1冊だったと思います。

まとめ

隈研吾さんの『点・線・面』をご紹介しました。

今や国民的なスターとなった隈研吾ですが、だからこそ表面的な理解に留めず、『点・線・面』に書いてある内容のような彼の考えを深く掘り下げて理解する必要があると思います。興味のある方は手に取ってみてはいかがでしょうか。

以下のリンクより購入可能です。

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